東日本大震災:後編

2011年3月11日に起きた東日本大震災について後半になります。

前半についてはこちらをご参照ください

 

さて、覚えきれないぐらいの階段の登り降り、そして数十分ごとになる緊急地震速報、そして地震。

 

そんな極限状態の状態で数時間過ごしてるとさすがに体力を消耗するのでお腹が減る。

しかし、オフィス下のコンビニには食料はおろか、飲料水すら売り切れ状態。

まぁ、オフィスにペットボトルの水が数リットルあるし、水道も問題なく水が出るので水分に関して心配はない。

 

ちょっと町の様子を見にオフィスを出て少し歩き回った。

すると、10分ほど歩いたとこに吉野屋に長蛇の列が。

どのコンビニ行っても食料売ってないし、かと言って多くの飲食店が閉店してたし、帰れないから特に何もする事もないのでけっきょく並ぶ。

 

30分以上並んでやっと店に入れたと思ったら米を炊くのが追いつかなくて炊けるまでさらに店内で30分待ち。

のんびり待ってやっとご飯にありつけた。

 

ご飯食べた後は歩いて20分ぐらいの銀座にあるスーツの青山まで新調したスーツを取りに行く。
本当はこの非常時にスーツとか言ってる場合ではないんだけど、翌日が実は従妹の結婚式でそのためにスーツを買って今日の仕事帰りに取りに行く事になってた。

支店に電話したところ、店員さんもどうしようもない状況で店で待機してると言うことで店自体はもう閉めてるけど、お待ちしてますと言ってもらえたので取りに行った。

 

真っ暗な店舗の中で不安そうな店員さんがいたけど無事受け取り、お礼を言ってまたのんびりオフィスまで戻った。

 

オフィスに戻ってからはずっとUstreamで各テレビ局が地震や被害状況を中継してたのでそれをずっと見てるしかなかった。

後はmixiやTwitterでみんなに無事を伝えたり状況を確認したり。

 

夜中になっても数十分おきに緊急地震速報がなってはビルを降りて避難。

あまりにも地震速報が多いのでしばらく近くの公園に避難したが、コートを羽織ってもあまりの寒さに30分もいられずけっきょくオフィスに戻る。

 

夜中2時を過ぎた頃だろうか、オフィスビルの入り口辺りに着いた時前方からオレンジのダウンを着た小太りの中年の男性が歩いて来た。

 

たまたま目があったその時

 

 

 

 

「何見てんだ」

 

 

 

 

見事に絡まれました。

こちらは精神的にも体力的にも限界に近い状況でただでさえやっかいな状況なのにこれ以上余計なトラブルは避けたい。

しかし、たまたま目があった程度で特に睨んでたりしてたわけじゃないのでこっちに全く落ち度はない。

しかし、それがどうも気にくわなかったようで腕引っ張って路地裏に連れ込もうとされたり、単に絡まれるレベルでなく本当に身の危険を感じた。

 

そこで、とりあえずひたすら謝った。

謝って謝って謝り倒した。

 

それでも気が済まないのか、どんどん因縁をつけてくる。

最終的にはその男性が持ってたショルダーバッグに手を入れて

 

何かを取り出そうとした。

 

その時、直感して命が危ないと思った。

 

走って逃げだそうかと思ったけど疲れ切ってる上にこっちはスーツに革靴でそんなに速く走れない。

変に逃げて捕まってしまったら確実に終わりだろうと思い、とにかくひたすら謝ったらその「何か」を取り出す直前で解放してもらえた。

 

今までバイクで事故りかけて死ぬ覚悟したことは何回もあったけど、こうやって人に殺されると思ったのは初めて。

 

それからすぐにオフィスに戻って緊急地震速報が鳴っても、地震で揺れてもオフィスから出る事はしなかった。

それ以上に、それが原因で人間不信に陥って人と目を合わすのにものすごい恐怖感があり外ではまともに前を向いて歩けなかった。

 

とりあえず、朝になるまで事務所にいたが、この日ほど長い夜を感じた事はなかった。

 

そして日が昇り、やっと地下鉄が動き出した。

全く寝てないけど、朝になってもやはり余震がいつ起こるかわからない状況なので眠気はなかった。

従妹の結婚式で横浜まで行くんだけど、一度家帰ってからどうするか考える事にした。

 

9時過ぎにやっと家に帰れたが、家の中はあんな大地震があったとは思えないぐらい何も落ちてたり散乱してる様子はなかった。

11時ぐらいまで仮眠取って起きてから結婚式行けるかどうか判断する事にした。

 

 

そんな感じで2011年3月11日を過ごした。

その後もしばらくはどのコンビニも食料や水、トイレットペーパーが不足していて入手が難しかったけど、飲食店等は普通に営業してたので特に不便は感じなかった。

 

そして、2011年2月から京都から東京に転勤になったけど4月に会社から京都に戻ってくるよう辞令が出たのでわずか2ヶ月半の東京生活でした。

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